日記

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2011年3月1日(火) 新保さんからのメール

題名 : [tomo-ml :442] 茨城新聞記事
差出人 : シンポ トシミ
宛先 : "tomo-ml"
受信日時 : 2011年 3月 1日(火曜) 18時26分

こんばんは、新保です。
千葉の友の会から茨城新聞の情報を頂きました。

茨城新聞
盲ろう者の生活サポート 通訳介助員を養成 水戸で講習会
http://www.ibaraki-np.co.jp/news/news.php?f_jun=12988198867450

−−ここから−−
2011年2月28日(月)
盲ろう者の生活サポート 通訳介助員を養成 水戸で講習会

視覚と聴覚の両方が不自由な「盲ろう者」の日常生活をサポートする通訳介助
員の養成講習会が27日、水戸市内で始まった。受講者は3回にわたり、盲ろう
者への理解を深め、介助員の対応や心構えを学ぶ。

講習会には市内外から35人が参加。初回の27日は、茨城盲ろう者友の会副会長
の前川一郎さん(78)が「人とのコミュニケーションが思うようにとれず、一人
で外出できない。この会場には介助員と来た」などと自身の経験や生活を紹介。
全国盲ろう者協会の村岡美和さん(30)は介助員の役割について「私たちの目と
耳の代わりになってくれる存在は貴重。盲ろう者との信頼関係、守秘義務を守
ることが大事になる」と説明した。

受講者はアイマスクとイヤホンを着け、介助を受けながら施設内を回り、盲ろ
う者の意思疎通や行動の難しさを体験。介助員の重要性を再認識した。

県内の盲ろう者は約500人と推計されているが、茨城盲ろう者友の会が確認し
ているのは10人にとどまる。定期的に交流会を開いる同会は「盲ろう者は外出
するきっかけがなく家に引きこもってしまうことが多い。広く交流会参加を呼
びかけたい」と話す。

県に登録している通訳介助員は35人ほど。介助員がいない地域もあり、増員が
求められている。

2011年3月7日(月) 石田さんの番組書き起こし

   BS−TBS
   2011年3月5日(土)
   22時〜22時30分
   「未来へのおくりもの」
   書き起こし 石田良子

 ()内は、画面説明
 『』内は、ナレーション(ナレーターは女性です)。
 *放送中にはさみ困れるコマーシャルは省きます。
 *また、テレビ番組制作スタッフの役割と名前も省きます。

 
 『すべては未来のために。緑豊かな地球にするため、木を植えること。子供たちに命の大切さを伝えること。環境を守るため省エネに取り組むこと。未来のために、さまざまな企業やプロジェクトがすでに動き始めています。今を生きる私達から、未来の人たちに贈る希望という名のプレゼント。未来へのおくりもの(Gifts For The Future)』
 (ここまでは番組の枠部分です。画面は、やわらかいタッチの線と色で描かれた動画。手のひらの上に乗せた小さなプレゼントの包み。木の芽に水をやっている子供。子供たちに話をしているお父さん。電気を消している子供と、風力発電の風車。そして丸い地球。ビルだけの地球に、緑の木々や動物が現れる。その地球から、ロケットが飛び立つ。ロケットの飛び立った後には、虹がでます。そして最後に、手書きのやわらかい文字で、未来へのおくりものとタイトルが出ます)

 (東京大学、駒場キャンパス正門前)
 『東京大学駒場キャンパス。ここに所属する研究者の中に、こんな方がいます。福島智教授』
 (駒場キャンパス内、先端科学技術研究センターの建物)
 (室内、福島教授が笑顔で指点字を受けています)
 『実はこの方、ある障害がありました』
 福島「実際に一般の大学で教員を15年やってきた訳ですけれども、私以外は全員健常者の世界で・・・」
 (福島さんの声にかぶせて)『福島さんの障害は、実は目と耳両方』
 福島「・・・アピールすることは、すごく大切です」

 (室内Aに机が四角く並べて、何人かの盲ろう者がいるようです。福島さんが正面の席で話しています。それぞれの盲ろう者には左右に二人ずつの通訳者がついています)
 『福島さんのように、目と耳両方障害のある方は、盲ろう者と呼ばれ、今日本の国内におよそ2万2千人いると推定されています。現在周囲のサポートを受けながら、東京大学の教授として、バリアフリー分野の研究をしている福島さんの思いとは』

 (別の部屋、福島さんがインタビューを受けています)
 福島「見えなくて聞こえない、両方のハンディが重なっている人たちが、全くどうにもならない状況だと言うことを、きちんと法制度的に位置づけていくことと、そしていろんな支援のシステムを作ると同時に、最終的には盲ろうの人たちが仕事をしながら社会にきちんと参加できるような仕組みを作っていく、そのための土台作りをしていきたいなあと思っています」

 (盲ろう者を全盲ろう、弱視ろう、盲難聴、弱視難聴の4つに分けた図)
 (その後、もとの部屋Aの画面に戻り、福島さんを含め、何人かの盲ろう者が楽しそうに笑いながら話し合っている)
 『一口に盲ろう者と言っても、その症状はさまざま。目が全く見えず、耳の全く聞こえない人、目は全く見えず、耳の少ししか聞こえない人、耳は全く聞こえず、目は少ししか見えない人、さらに、耳は少ししか聞こえず、目は少ししか見えない人まで、状態は人それぞれです。こんな盲ろう者の方々の支援を行い、福島さん自身も理事を勤めている団体、それが』

 (突然画面は全国盲ろう者協会の入っているビルの全景)
 『東京神田神保町に事務所を構える、社会福祉法人、全国盲ろう者協会』
 (協会の事務所の中。事務局長がパソコンに向かっています)
 『事務局長を務める塩谷さんに話を聞いて見ると』
 (カメラに向かって話をする塩谷治事務局長)
 塩谷「目と耳と両方に障害を負っている人たち、言ってみれば、ヘレン・ケラーのような人たちですが、この人たちは、今まで全く世の中に知られないできました。まあ、情報障害の中でも、最も重い障害の人たちですね。この人たちを何とか外に連れ出したい。そんな思いです」
 『盲ろう者の方々が安心して一歩を踏み出せる世の中にしたい。活動の裏には、そんな切なる思いも』

 (部屋B《東京盲ろう者支援センターの部屋》の中で、盲ろう者が通訳者と一緒に集まって、料理の実習を受け、そのあと楽しそうに試食しています)
 『今日はさまざまな角度から、盲ろう者の支援を行っている団体のお話』

 (協会の事務室で、盲ろうの職員を含めてパソコンに向かって仕事をしている様子)
 『盲ろう者の方々を支援する目的で、1991年に設立された団体、全国盲ろう者協会。現在日本には推定2万2千人の盲ろう者がいるといわれていますが、協会に登録しているのは、わずか800人。その背景について、事務局長の塩谷さんは』
 塩谷「調べて見るとまあ、全国には2万2千人くらいいるということなんですね。そのほとんどの人が、まだまだ家庭に埋もれたきりになっています。初めて交流会などに来る人たちが、口をそろえて言う言葉があるんですね。それが何かといいますと、今まで、この障害を持っているのは、日本で自分一人だけだと思っていた。ほとんど例外んなくこういうことをおっしゃいますから、いかに情報が行き届いていないかということですね」
 『目と耳が不自由なため、情報を得るのが困難な盲ろう者たち。協会では支援の輪を広げるため、家にこもり切りになっている盲ろう者の情報提供を日々求めています』

 (町の中、道路わきの八百屋の前に差し掛かる盲ろう者と女性)
 『東京板橋区に住む、川崎さんご夫妻。ご主人の美知夫さんは目が全く見えず、耳の全く聞こえない盲ろう者です。実は奥さんの悦子さんも耳に障害のあるろうあ者。ご主人とは手の中で手話を読む、触手話という方法で、コミュニケーションを取っています』
 (家のなか、川崎夫妻が触手話の会話をしている)
 『この日、こんなお二人のもとに、訪問者が』
 (チャイムの音。同時に鴨居の上に付けてあるランプが点滅する。奥さんが気付く)
 『部屋に取り付けられたライトが、来客を知らせる目印。悦子さんが対応に当たります』
 (玄関に出ていく悦子さん。ドアを開けると、二人の女性。悦子さんは手話でどうぞどうぞと招き入れる)
 『この日、川崎さんのお宅を訪ねてきたのは、盲ろう者の支援を行う通訳・介助者と呼ばれる方々。通訳・介助者とは、盲ろう者が自由に外出できるように移動を手伝ったり、その場のコミュニケーション、情報収集の支援を行ったりする支援です。今回は川崎さんへのインタビューを行うにあたり、通訳・介助者として駆けつけてくれました』
 (奥の部屋で、交互に川崎さんと触手話で挨拶をする通訳・介助者)
 『通訳・介助者は盲ろう者一人につき、二人が基本。集中力を要する仕事なので、交代制で行います。コミュニケーションが取れる、通訳・介助者の訪問に、川崎さんもこの笑顔。もともと耳に障害のあった川崎さん。しかし、27年前のこと、川崎さんの身に大きな異変が』
 川崎(手話での話し。通訳者が音声で読み取り通訳)「昭和59年に、突然、周りが良く見えなくなってきて、視野がどんどん狭くなってきました」
 『手話で語りかける川崎さん。その傍らにいる通訳・介助者が内容を訳して川崎さんの話を代弁します』
 川崎「昭和63年あたりから、家に閉じこもるようになって、家内とのコミュニケーションもままならないような状態になってきって、5年もの間、僕はずっと家に引きこもりの状態でした。閉じこもって苦しい思いをして、自殺をしてしまおうかと思ったときもありました。今後、どうやって生きて行ったらいいんだろう。なす術は無い。どうしたらいいんだろうというふうに思っておりました」
 『その頃のご主人について、妻悦子さんは』
 悦子「もう、心配でした。毎日毎日家に閉じこもっていて、ずっと閉じこもっていて死にたいという様な顔をしていましたので」
 『精神的にぎりぎりのところまで追い詰められていた川崎さん。しかし、そんな状況を変える出来事が。それは盲ろう者同士の集いでした』

 (協会の事務室。事務局長)
 『塩谷さんに聞いて見ると』
 塩谷「盲ろう者友の会と言うのがございまして、盲ろう当事者とそれから支援する通訳・介助者が一緒に活動しているグループですね。これが、全国都道府県にございます。それが一番身近で盲ろう者を支援しているグループですね」

 (ビルの並ぶ街、一つのビルにズームイン)
 『盲ろう者友の会。それは全国盲ろう者協会の呼びかけにより、日本各地で組織化されたNPO団体。それぞれに独立した形で活動を展開しています』
 (特定非営利活動法人、東京盲ろう者友の会、東京盲ろう者支援センターと書かれた看板。部屋Bの中では数人の盲ろう者を囲んで、編み物の学習会が開かれている)
 (部屋B。また別の日の収録でしょう。学習の内容が違っています)
 『この日、東京にある盲ろう者友の会では、週に1度の学習会が開催されていました。プログラムは、籠の工作学習。11名の盲ろう者の方が集まりました。その中には、川崎さんの姿も』
 (籠の出来上がり作品を触ってニコニコしている川崎さん)
 『一人ひとりの傍らには、それぞれ通訳・介助者がつきコミュニケーションをサポートします。この日の学集会、実は講師を務めた方も盲ろう者でした』
 (手話で話す講師)
 名取勇(音声読み取り通訳)「盲ろう者はこの籠つくりが楽しくて皆さんやっていただけるので、私も頑張って教えたいと思います」
 『盲ろう者の方は一歩外に出るにも、家族や通訳者の付き添いが必要です。そのため、家にいることが多くなりがちで、人と関わることがめったにありません。この学集会は、そんな盲ろう者に取って、他人と触れ合う大切な場所となっているのです』
 (参加盲ろう者へのいインタビュー)
 盲ろう女性(手話)「私は家で生活していて、つまらなかったんですね。今こういう学集会に参加して、とても楽しいんですね。生活にもはりが出てよかったなと思ってます」
 別の盲ろう女性(音声)「ほんとに楽しいんです。作るのが。これがやはり私達の生きがいだと思うんですよね」

 (川崎さんの家の中の画面に戻る)
 『長く家に閉じこもり、一人苦悶していた川崎さんは、友の会と出会ったことで救われたといいます。一方、そんな友の会の活動を、献身的に支え続けている通訳・介助者の存在の皆さん。日ごろ心がけていることは』
 通訳・介助者・女性「ご自宅から出かけて、また帰るということなので、電車に乗ったりとか、バスに乗ったりとかしますからそういうのは特に、怪我が無いようにというのを一番気をつけています」
 『全国盲ろう者協会では、その通訳・介助者の育成や派遣のサポート業務なども実施。支援体制の充実に努めています』
 
 (全国盲ろう者協会のドアに書かれた看板。協会の事務所にカメラが入る)
 『そんな協会で働く職員の中には、自らも盲ろうの障害のある人がいます。こちら庵悟さん』
 庵「私は目と耳の両方障害があるんですけど、このFMマイクなんですけど、このマイクでしゃべってもらうと、補聴器に電波で届くようになっていて、そうするとはっきり聞こえる。そういう方法でコミュニケーションをとっています」
 (庵さんの隣に、女性が手にもったマイクに向かって話しています)
 (次に、庵さんの使うパソコンの上に、パソコン画面の2・3倍もある画面が置かれ、大きな文字が表示されている。拡大読書器の画面です。画面はどちらも黒い背景に白い文字です)
 『弱視でもある庵さん、書類などを確認する際は、文字を拡大するシステムを使い、業務に当たっています』

 『さらにもう一人、こちら村岡美和さん。耳が全く聞こえず、目がほとんど見えない村岡さんも、通訳・介助者でもある職員のサポートを受けながら、仕事に取り組んでいます』
 (お互いにパソコンに向かう村岡美和さんと職員の女性。二人は机を挟んで向かい合う位置に座っています。職員の手話を美和さんが読み取っています)
 『例えば電話で話す必要があるときには』
 (職員が電話機を取る。村岡さんが手話で話す。職員が電話機に向かって村岡さんの手話の読み取り通訳をする。職員はヘッドフォンマイクを使っている。両手をあけて、手話通訳するため)
 村岡「確認したいことが2点あります。2月28日の月曜日の午後3時から会議があると聞いているのですが、会議の内容を教えてください」
 (職員が、電話の相手の声を聞いて、手話で表し美和さんに伝える)
 『このような方法でやり取りを行っています。そんな村岡さんが、協会で働くようになった理由とは』
 村岡「私は盲ろう者になって10年ほどになります。耳は全く聞こえなくて、目のほうが病気になって、急激に視力が低下し、見えにくさ、そして聞こえない苦しみを持ちまして、私達のような盲ろう者がたくさんいらっしゃる、そういう方々の理解をしたい、そして、盲ろう者の役に立ちたいと思いまして、こちらで仕事をしております」
 (村岡美和さんが話をする時は、手話と同時に小さく音声も発音します。そのために、口が言葉の通りに動くので、読み取り通訳は手話だけを読み取っている場合とは違い、美和さんが話している通りの言葉を伝えることができています)
 『以前は大手電気メーカーで経理等の仕事をしていましたが、自身が盲ろう者となったのを期に、同じ障害のある人たちの役に立ちたいと、ここで働き始めたのです』
 (協会事務室で働く人たちの様子。ざっとみて、10人近い人が仕事をしています)
 『協会の主な仕事は、盲ろう者自身、または直接家族から寄せられる相談に対応することや、通訳・介助者の育成、さらに友の会の活動支援などさまざま。その中でも1年で最も大きな活動。それが盲ろう者の全国大会です』
 (事務局長がカメラの前に座って話します)
 塩谷「全国大会を毎年1回行っています。だいたい盲ろう者が200名くらいそれに関わる通訳・介助者を含めると600名くらいの人が、毎年集まって、まあそれが一番大きな事業ですね。泊りがけで盲ろうの人たちが外出するめったにない機会です。しかもこの大会に来れば、一日中通訳・介助の人がついてくれます。通訳・介助の人がついてくれるというのは、どういうことかというと、他の同じ仲間の盲ろうの人たちと心置きなくおしゃべりが出来る訳です」

 (画面は突然JR舞阪駅の入り口。10人の人たちが、駅の階段を下りて出てくる。中の3人は白杖を持っている。事務局長、庵さん、村岡美和さんもいます)
 『盲ろう者の方々にとって、全国大会はとても貴重な機会。その準備は着々と進められていました。2月下旬、協会職員の皆さんがやってきたのは、静岡県浜松市』
 (浜名湖の風景)
 『実はここ浜松は今年の全国大会の開催予定地。本番はおよそ半年先の8月ですが、この日は当日に向け、宿泊するホテルの下見も兼ねた実行委員会の会合が開かれたのです』
 (電車から、バスに乗り継ぎ、浜名湖ロイヤルホテルに到着する一行。ホテルに入っていく)

 (ホテルの会議室。26名ほどの人がいます。正面の議長用の机に3人、教室のように並んだ机の左右に22人。向かって右側に、協会から参加した人たちが座っています。議長席の横に、手話全体通訳者が立って、参加者に向かって手話表現をしています)
 『会場には大会実行委員である東海・北陸地方の友の会の代表者たちも出席。各県とも、代表を務めるのはみな盲ろう者自身。通訳・介助者が、手話で、そして声でサポートします。中には指に点字を打つ指点字という方法でコミュニケーションとる人も』
 (それぞれの県の代表が、通訳を受けている様子が次々映し出されます)
 『話し合いでは代表者がそれぞれの意見を出し合います』
 (今度は、マイクを持って話す代表盲ろう者)
 静岡盲ろう者友の会代表・女性(音声発言)「そこにご紹介すると言うことは、出来ると思いますけれども・・・」
 愛知盲ろう者友の会代表・女性(音声発言)「ご来賓の方々の案内は、協会がされますか?」
 岐阜盲ろう者友の会代表・女性(手話発言)「金曜の夜から、体験するための部屋を、準備をするためにお貸し願うことが出来るかどうか、確認したいと思います。どうでしょうか」
 村岡美和「協会の村岡です。希望として承ります。ホテルのほうと調整をして見ますので返答はお待ちください。よろしくお願いします」

 (会議場を出て、解散の場で、全員に言葉を掛ける村岡美和さん)
 『年に一度の大行事。こうして少しずつ実現へと向かっていくのです。このように、盲ろう者を支援するためのさまざまな活動に取り組んでいる全国盲ろう者協会ですが、その理事を務めているのが、世界でも類を見ない経歴の持ち主でした』

 (福島智さんの、大学卒業時の写真)
 (再び、協会の事務所の風景)
 『さまざまな形で盲ろう者の方々を支援している、全国盲ろう者協会。その理事を務めるのは、世界的にも類を見ない経歴の持ち主でした』
 (東京水道橋グランドホテル全景。部屋の中。番組初めのAの部屋)
 『ここに出席していたのがこの方。理事を勤める福島智さんです。現在東京大学の教授を務めている福島さんですが、実は』
 福島「数が少なくて、パワーが足りなくて、社会へのアピールもなかなか出来ない盲ろう者が、ばたばた倒れていったら、未来は無いんです。自滅です」
 『その福島さんも盲ろう者の一人。大学では通訳者のサポートを受けながら、バリアフリー分野の研究を行っているほか、もちろん教壇に立って学生を指導することも。その一方で、全国盲ろう者協会の理事として、こうした会合などに出席しているのです。協会について、福島さんに聞いて見ると』
 福島「私が盲ろう者になったのが18歳のときですけれども、そのあと、大学に進学する上で、支援してくれるグループが出来たんですよね。その支援グループが母体となって作られた、日本で初めての盲ろう者向け社会福祉法人が、全国盲ろう者協会ですので、私が盲ろう者になるという運命を背負った一つの意味、証が、盲ろう者協会なのかなと私個人としては思っています」
 『福島さんは9歳の時に視力を失い、18歳で聴力を失い、盲ろう者に』
 (9歳と18歳の頃の福島さんの写真)
 『当時を振り返ります』
 福島「最初の九つの時は、テレビのブラウン管の映像が消えた感じでしたけれども、18歳で今度は、スピーカーの音が消えちゃったような感じなので、自分の心の中に何も映らない、何も聞こえないという、もう、言葉で上手く表現できないんですよ。世界が自分から消えた、あるいは、自分から世界が消えたと言うような、真空の宇宙空間に放りだされたような感じでしたよね」
 (大学卒業時、お母さんとの写真)
 『それでも、母令子さんの支えもあり、福島さんは懸命に勉学に励みました』
 (Aの部屋で指点字を受ける盲ろう者)
 『ちなみに、現在盲ろう者のコミュニケーションの一つとして使われているこの指点字は、福島さんと母令子さんが、盲ろうのハンディを克服しようと考案した物でした。そんな母との二人三脚で、1983年、盲ろう者として全国で初めて大学に入学。その後、東京大学先端科学技術研究センターに就任し、2008年、教授に就任しました。盲ろう者で大学の教授に就任すると言うのは、世界的にみても極めて異例なこと。今福島さんはニューヨークにある盲ろう者のための施設、ヘレン・ケラー・ナショナルセンターを視察するため、アメリカに長期出張中』
 (アメリカ、ヘレン・ケラーナショナルセンターの風景。そこの会議に参加している福島さんの写真)
 『この日の会合には、一時帰国したタイミングで出席していました』
 
 (Aの部屋)
 福島「米国での取り組みは、盲ろう者の施策の展開にいかにつなげるかといいうことを、ぜひ考えながら、自分でも実践したいなと思っています」
 『日本国内の盲ろう者を取り巻く環境は、まだまだ不十分と語る福島さん。その状況を変えようと、自ら先陣を切って日々の活動に取り組んでいるのです。このように、盲ろう者の方々が住みやすい社会を目指し、さまざまな活動を行っている、全国盲ろう者協会。最後に、未来への贈り物とは』

 (協会で話をする事務局長)
 塩谷「とにかく、おしゃべりしたい時に、おしゃべりできる仲間がいて、そういう人たちと一緒に、出かけたい時にどこへでも出かけられる。そういった体制をそれぞれの盲ろう者んの身近に作っていくことですね。それぞれの盲ろうの人たちの家庭の身近に、そういう支援体制を作っていく。最終的にはそういうことだと思いますね。まあ、いつまで経ったらそういう贈り物が盲ろうの人たちに届けられるのか、まだまだ時間がかかると思いますけれども、でも、いつかはきっとそういう時が来るだろうと思っていますね」
 『盲ろう者の方々を支援すること。それは成熟した社会を作り上げていく上で必要な活動です。支援の輪を少しでも広げ、誰でもが住みやすい日本にするために。全国盲ろう者協会の取り組みは、これからも続いていきます。今、この瞬間も未来のために。世界中でさまざまな取り組みが行われています。それは私達一人ひとりが作り出す、未来へのおくりもの』
 (B会場で、とうをあんで籠を作る盲ろう者たち。動画の地球の絵。手のひらに乗った小さなプレゼントの包み。

 (番組制作スタッフの名前が流れる)
 『この番組は、クオリティー フォー ユー。三菱UFJファイナンシャル・グループの提供でお送りしました』

2011年3月25日(金) 事務局(浜口さん)からのメール

題名 : [tomo-ml :473] 茨城新聞に掲載されました。
宛先 :
受信日時 : 2011年 3月25日(金曜) 23時22分

友の会事務局です。茨城新聞の鈴木貴子さんから連絡があり、記事にしてくださいま
した。

「これからも何かお手伝いできることがありましたら、連絡ください。」とのお話で
した。

「盲ろう当事者が地震があったときにどう過ごしていて、どのような気持ちになった
か、その後の生活で不便を感じる点をお聞きしたい。」ともお話されていましたの
で、盲ろう者のみなさん御連絡した際はぜひご協力ください。

ここから記事です。

盲ろう者の支援を 震災や生活関連情報 高齢者らに届かぬ恐れ
2011/ 03/ 24 (木) 本紙朝刊 第3社会 A版 17頁 自社 661字

■友の会 伝達呼び掛け

視覚と聴覚の両方が不自由な盲ろう者に、震災や生活に関する情報をどう伝えるか
−。茨城盲ろう者友の会は、登録者に情報をメールやファクスで配信しているが、機
器を扱えない高齢者などへの伝達が十分でないという。「震災で不安を抱えたまま生
活している盲ろう者は多いはず。情報が伝わりにくい人がいることを意識して、ご近
所などで声を掛けてほしい」と呼び掛けている。



県内には約500人の盲ろう者が在住すると推計される一方、個人情報保護法が壁にな
り、友の会が把握しているのはわずか10人。
盲ろう者はコミュニケーション手段が限られ、印刷物やテレビなど通常の伝達手段か
らでは情報を得にくい。震災情報が十分に伝わらず不安を募らせたり、ライフライン
の復旧状況、まちの様子が分からない人も少なくないとみられる。
友の会は、全国盲ろう者協会(東京)が発信している全国の震災情報をまとめ、メー
リングリストに加わっている盲ろう者や通訳介助者らに随時送信している。ただ、
メールを受信する際にはパソコンまたは携帯電話で、音声や点字に変換するシステム
が必要になるため、パソコンを持っていなかったり、機器の操作ができない人は情報
入手が難しい。
担当者は「ガソリンスタンドの営業や給水情報、ライフラインの復旧状況など身近な
情報が不足している。目、耳が不自由な人が身近にいるのではないかとアンテナを高
くして、支援をお願いしたい」と話している。同会は盲ろう者に関する情報を求めて
いる。連絡先は事務局TEL0297(74)1105(ファクス兼用)。

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