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2011年6月5日(日) 5月交流会報告


5月交流会報告
日  時:平成22年5月12日(日) 午後1時〜3時
場  所:土浦市社会福祉協議会(ウララ2ビル)4階 講義講習室1
内  容:総会資料準備 交流会 
参加者:15名(盲ろう者5名)

資料A3用紙3枚をそれぞれ二つ折りにし、順に折込み、最後に入会申込書を
真ん中に入れ完成。それを一部ずつ封筒に入れる。千葉からご参加のお二人
もお手伝いくださいました。
その後は皆さんから差し入れのお菓子をほお張りつつ震災体験談議でした。

<前川さん>
屋根のグシと瓦が壊れました。震災発生時は、たまたまヘルパーさんが来ていた
のでヘルパーさんと一緒に避難所へ避難しました。家の中は倒れた家具や食器や
ガラスの破片が散乱しているので暮らすことはできず、娘の家に避難しました。
震災後、ストレスからか帯状発疹になり、家内も盲で薬を発疹箇所に塗ることが
できないため水戸市に住む娘の家で生活していました。少し落ち着き自宅に戻っ
た途端、大きな余震にあいタクシーで娘の家にとんぼ返りでした。娘の家ではパ
ソコンも散歩もできず不便でした。

<田山さん>
大洗には津波はない、津波被害とは無縁だと思い込んでいました。3月11日
議会傍聴が終わって帰宅、ホッとお茶を飲んでいたところに地震!動くことがで
きず、布団をかぶっていました。血圧の薬、通帳、手動式の懐中電灯・・・。
「波が防波堤を超えた」と避難警報が。集会場は海の近く。とにかく高台へ高台
へと中学校へ避難しました。畳の部屋でした。目の前にはグループホームから避
難の高齢者。徘徊したり怒鳴ったり、自分の行くすえを見た思いでした。
一日の食事は、リッツ数枚とおかゆ。電話もメールもできない。大変でした!
だるま納豆の差し入れがあり、それを食べて本当に元気がでました。
交通機関の復旧はまだまだですが、それでも震災後今日初めて電車に乗ってやっ
と外界へ出ることができました。地震は怖い!この歳で初めて津波を体験しまし
た。

<須之内さん>
家は築33年位で押せば倒れるような家だが、トタン屋根なので軽くて大丈夫だっ
た。ボイラーの灯油タンク200リットル、給油タンク90リットルがクーラー
の室外機の上に倒れて怖かったです。
棚が倒れたり食器やガラスの破片等片付けるのは、草取りと同じで腰を落として
やるわけにいかず、3日ほどかかったが本当に疲れました。
友人たちも全壊が2軒、半壊が10軒位。行方市の人は地盤沈下で、道路から1段
下りて家に入る感じ、普通ならとても住める状態ではありません。
液状化のすごいのは、電柱の足元が揺らいで、次の揺れで電柱が沈む。
避難した一人暮らしの視覚障害者の中に「あなたは一人では無理だからアパート
に住めば」と言われ困っている人がいます。

<佐藤さん>
あの日は上野について、14:40の地下鉄に乗ろうと思って地下にいました。
ん?めまい?地下だから??そしたら震度5強。上に行ったらJR職員が 「外
に出てください」 と叫んでいました。でも、「上野動物園にパンダでも見に行

か」などの声も聞こえ、のんきな感じでした。
帰宅困難者となり、上野公園の地下駐車上に避難。暖房はあるし水も出る、トイ
レも綺麗、そこで一晩過ごす覚悟を決めたら地下鉄が少しずつ動き出しました。
結局、妹のつれあいと合流でき明け方3時に調布の実家に帰り着きました。
私は茨城県民ですが、実家の調布で計画停電を経験した。茨城の家の近所の人
たちは、最後まで水が出ず洗いもの等は川でしていたとのこと。日立では給水所
が1箇所だけ。歩いて40分。8時間並んでやっと水を貰い、帰り道は遠くて重
く大変だったとのこと。ガソリンもなく、「犬ぞりにしたらいいよ」の声も出
ました。視覚障害者たちは、水などみんなどうしていたのだろう…。
今日は皆さんに会えて本当に嬉しかったです!

<大塚さん>
地震はヤダ! 聞いているだけでせいいっぱい!!

<山下さん>
5月の連休に大洗に行ってきました。
屋根や窓にブルーシートの家が沢山。液状化での段差箇所多数。美術館も被災し
休館状態でした。帰りはもちろん水戸納豆を買いました。海鮮丼も美味しかっ
た!茨城にお金を落とし、茨城の経済を回して来ました。

<相沢さん>
震災のあとはユッケで大変だねえ。

賛助会員の平塚智徳さんは、今回大きな被害を受けた宮城県石巻市に住んでいた
ことがあったそうです。


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