日記

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2011年9月2日(金) 石田良子さんの書き起こしデータ

  2011年9月1日 NHK東日本大震災プロジェクト
      「明日へ」 −−支えあおうーー
   福祉ネットワーク 震災と盲ろう者
                  書き起こし 石田良子
  書き起こし凡例
  () 画面の状況説明
  『』 ナレーション(女性)
  《》 画面テロップ
  
 『甚大な被害をもたらした東日本大震災。多くの障害者も被災し、過酷な状況に追い込まれました』
 (津波に襲われた被災地。朝日が昇り悲惨な風景に陽が指し始めます)

 (街の歩道を白杖をつかって歩く一人の女性。車道に近い部分は歩道があちこち崩れかけ、工事中のしるしがあったり、砂袋が置かれていたりします。女性は時々崩れた部分に足をとられそうになったり、砂袋に道をふさがれたりします)。
 『中でも見ることと聞くこと、その両方に障害がある盲ろう者は大きな困難と恐怖に直面しました』

 (先ほどの女性が、部屋の中で携帯の画面を、ルーペを使って読み取っています)
 『震災直後、停電や通信網の混乱によって、情報を得る一切の手段を失ってしまったのです』
 女性「テレビも見えない、ラジオも聞こえない、新聞も見えない。なんか、自分だけ別の世界に居るような、取り残された感じがしましたね」
 《盲ろう者》

 (居間のテーブルで、手書き文字で話し合う二人の手。カメラがさがると、前回のテレビに出ていた八幡さんと若い女性が会話しています)
 『さらに、その後の生活にも深刻なダメージを負うことになりました。この女性は、触手話ときう方法で14年もの間サポートしてくれた通訳・介助者を津波で失いました』
 (以前の写真。岡田さんの通訳を受けている八幡さん)
 『十分にコミュニケーションできる相手が、町に一人も居なくなってしまいました』
 (カメラに向かって手話で話す八幡さん。手話表現で、いつも、一人、いる、さびしい、くるしい)
 《震災の後は毎日一人で家に居ます。本当に寂しいんですよ。苦しいんです》

 (別の家の中。触手話で話し合う男性と女性)
 『東日本大震災の中で、盲ろう者はどのような現実に直面したのか』
 (また、別の家の中。触手話で男性の話を聞く女性。周りに何人かの人がいる)
 『そして今、どんな支援が求められているのか考えて生きます』

 《東日本大震災。盲ろう者に何が起きたか》

 (スタジオの画面。町永俊雄が語り、横で手話通訳師が手話通訳しています)
 町永「福祉ネットワークです。今日、9月1日は防災の日です。そして今月11日は、あの東日本大震災からちょうど半年ということになります。あの震災の時、障害のある人たちはどんな状況に置かれていたのか、そして私たちはどんな支援ができるのかをお伝えします。この時間はいつものように、手話通訳そして字幕放送。映像には解説放送を交えてお伝えすることにいたします。今日お伝えするテーマは、盲ろう者は震災の時どうだったのかということです。まず一口にですね、盲ろう者と言いますけれども、いわゆる視覚障害、聴覚障害併せ持つのが盲ろう者と言われていますけれども、全く見えない、全く聞こえないという場合は全盲ろうですが、それ以外にですね、見えにくい、聞こえにくいといった、盲難聴、弱視ろうも盲ろう者であります。二つの障害あわせ持つだけではなくて、盲ろう者ならではの大変な困難があります。一つはですね、情報から遮断されてしまうと言うことです。自身などの災害の時にですね、そうしたリスクを負った人たちは、一体どう行動したのか、どんな困難に陥ったのか。まずは宮城県の盲ろう者の方にお話を伺いました」

 (仙台市の風景。その後、番組最初に出た、歩道を歩く女性の画面)
 『宮城県仙台市。みやぎ盲ろう児・者友の会会長の早坂洋子さん、29歳です。早坂さんは弱視難聴で、慣れたところへは一人で出かけることができます。しかし、地震で道路が陥没していたり、復旧工事がひんぱんに行われたりするため、外出には危険が伴うようになっています』
 早坂「工事のおじさんが、こっちですよと誘導したりするんですけど、その声が聞き取れなくて、どっちを通っていいのか分からなかったり、盲ろう者にとってはいつもと状況が違うというのは、自分で見えないとそれがつかめないので、不安がありますね」
 (初めに出た、部屋の中で携帯画面を見る早坂さん)
 『早坂さんは携帯電話が復旧したあと、会員に連絡をし、災害時の体験を聞き取りました。その結果、盲ろう者にはライフラインの状況や避難所の場所など、必要最低限の情報さえ届いていなかったことが分かりました』
 早坂「給水所があるのは分かっていたんですね。どこかでもらえるんだろう。でも、何処にあるか分からない。そういうのがテレビやラジオで情報はあったんですけど、その情報が入ってこないので、何処に行けばあるのかわからないという人がいましたね。あらゆる情報から断絶されて孤立してしまう。そういう不安ですかね」

 (仙台の街中)
 『会員の中で最も残酷な状況に追い込まれたのは、独り暮らしの盲ろう者でした』
 (初めにでた、若い男性の部屋。ルーペを使って携帯の画面を見ています)
 『仙台市内に住む森山さんです。携帯のメールやネットの情報、通訳・介助者の支援を頼りにようやく独り暮しができていました。そして3月11日』
 (カメラに向かって手話で話す森山さん。手話は、ゆれる、恐い、泣く、恐い)
 通訳の女性の声での通訳「大きな揺れがきて、とても恐くて身体が動きませんでした。怖くて怖くて涙が出ました」

 (震災当時のイメージ映像。部屋の家具が倒れ、棚のものが落ちる)
 『震度6強。マンションの3階の部屋は激しく揺れ、大きな家具が倒れた振動が森山さんにも伝わってきました』
 森山「灯油のカンがひっくり返ったような感じで、においがしたんですね。足で踏んで、落ちていたものが刺さって分かりました」
 (落ちた食器が細かく割れている様子)
 『森山さんは弱視のため細かいものは見えません。足の裏に刺さった食器のかけらや、灯油のにおいから、散乱した部屋の状況を理解しました、。これでは外の状況もひどいに違いない。森山さんは一人で外に出るのは危険だと考えました。唯一のコミュニケーション手段だった携帯メールは使えず、助けを求めようにもそのすべがありません。森山さんは布団をかぶり、寒さと孤独に絶え続けるしかありませんでした』
 森山「文字のニュースも見られないし、ワン瀬具放送も見られないし、メールも使えない。情報も入らないし、どうしたらいいかとても不安で悲しくなりました。時々余震も起きていたので、夜も怖くて、寒くて、泣いていました」
 (玄関のベルを押す手。ドアを開けようとしてもあかない。停電でつかない部屋の中のフラッシュライト)
 『地震発生から二日後、森山さんを心配した友人がマンションを訪ねてきました。しかし、中からは反応はなく、友人は引き返すしかありませんでした。部屋にはインターフォント連動するランプがありましたが、停電のため作動しませんでした。地震から3日後、不安と恐怖感がピークに達したとき、青森から両親が車で助けに来てくれました』
 森山「突然来たのでびっくりしました。とてもうれしかったです。いろいろ手伝ってもらいました。両親が家の鍵を持っていたので、入る事ができました」

 (早坂さんの部屋。拡大器に携帯画面を映し出して読んでいます)
 『盲ろう者友の会の早坂さんは、被災した会員にはすばやい支援が必要だと感じました。しかし多くの自治体では盲ろう者を把握さえしていません。さらに、友の会に所属する、通訳・介助者も被災し、駆けつけることが困難でした』
 早坂「こんな時だからこそ役立ちたい。でも、それがなかなかできない。そういうのが、もどかしさみたいな、悔しさですかね」

 (津波に襲われた町。続いて、八幡さんの部屋。洗濯物をたたむ八幡さん)
 『岩手県沿岸部の大槌町。死者、行方不明者は合わせて1400人にのぼります。盲ろう者の八幡美知子さん60歳。震災後、生活が大きく変わりました。14年間支えてくれた通訳・介助者が、津波で行方不明になってしまったのです』

 (いろいろな会場で盲ろう者同士が話したり、通訳を受けたり、している画面)
 『通訳・介助者は盲ろう者のコミュニケーションを可能にするとともに、外出や社会参加を支援する役割を担っています。触手話や指点字など、高度なコミュニケーション手段を身につけ、盲ろう者とは家族以上に心を通わせている人も少なくありません。八幡さんの通訳者だった岡田さん。町で唯一の通訳・介助者でした。外出する機会がほとんどなかった八幡さんを、手話サークルに誘い、生きがいを感じられるようサポートしてきました。八幡さんは家族とは手のひらにひらがなを書いて伝える手書き文字で会話しています。しかし、必要最低限の情報しか伝えられません』
 (八幡さんの家の部屋。息子さん夫妻と二人の孫)
 長男、八幡命助さん「岡田さんは家族のことも気にしてくれたり、いろいろ心配してくれたりという方だったですね。そういう人が近場にいたために、うちらは助かった」
 長男の妻 みさ子さん「だからちょっと私たちもショックなんです。岡田さんがいないと」
 (独り部屋に座り込む八幡さん)
 『現在最も近くにいるのは、車で1時間かかる隣の市の通訳・介助者です』
 八幡「岡田さんといつも朝早く出かけて、行きも帰りも電車の中で触手話でおしゃべりしました。楽しかったです。震災後は毎日一人で家にいます。本当に寂しいんですよ。苦しいです」(この言葉には音声通訳は付いていません字幕だけ)
 『岩手県盲ろう者友の会では、八幡さんのために通訳・介助者を養成する講習会を開くことにしています。しかし、もとの生活に戻るまでには長い時間がかかりそうです』

 (スタジオに戻る)
 町永「今日はスタジオに、全国盲ろう者協会評議員で、NPO法人、すまいる理事長の門川紳一郎さんにおいでいただいています。門川さんご自身も盲ろう者で、私の話はですね、指点字といいまして、点字をタイプライターのようにして伝えることで、私とのコミュニケーションを測りながら伺っていきます。通訳・介助じゃ藤井明美さんです。よろしくお願いします。まず、門川さんにうかがいたいのですが、盲ろう者の森山さんという青年ですけども、自分の部屋に3日間も閉じ込められてしまったという、震災当時の状況、門川さんご自身はどんなふうに受け止めたでしょうか?」
 門川「盲ろうの人は、災害が発生した時に、情報から遮断されてしまいますし、何が起こっているのか、自分で把握ができませんね。ですから森山さんの様子を見ていて、盲ろう者というのは、不安と恐怖と隣あわせているんだなあと思いました。まあ、独り暮らしの盲ろう者だけでなく、避難所にいた場合でも、避難所での生活もすごく大変で、苦労されている方はたくさんいらっしゃると思います」
 町永「もう一人岩手県の盲ろう者の場合は、たまたま家族もいらして在宅ですけれども、介助している人が行方不明になってしまったということですけど。介助の人がいないというのは、月日がたってもとても暮しが困難なように見受けたんですけれども、門川さんはどんなふうに子ランになりましたか?」
 門川「そうですね、家族が板としても、家族は簡単な会話、ご飯だよ。お風呂だよ。そういった会話しかできませんから、通訳・介助の存在は大きいですね。家族とのコミュニケーションのために、通訳・介助者が必要な場合もあります。あと、通訳・介助者は通訳と介助をするだけではなくて、盲ろう者にとって話し相手になることもあるわけですから、盲ろう者は一人でいると孤独ですよね。そんな時に通訳・介助者が通訳・介助を市ながら話し相手になってくださる。そういうことも大変大切な部分です」
 町永「孤立から支援するためには、行政の役割は大きいと思いますが、その辺りはどんな風に捉えていますか?」
 門川「第1番目に言いたいことは、行政として、盲ろう者という障害種別を法律の中でも認めていただきたいなと言うことです。いま、視覚障害者、聴覚障害者、他の身体障害者といった障害種別はありますけれども、盲ろう者といった障害種別は、法律の何処にも書かれていないんですね。と、いうことは、盲ろう者という存在を知らない人が多いということにもつながってくるんじゃないかと思っています。あと、お隣づきあいといったことも、日頃から心がけておくことが大切だなと、つくづく思っています」
 町永「地震の時に盲ろう者が一番助かるのは、行政の仕組み、そして地域の人々のネットワーク、この二つが必要だろうと思います。さあ、そうしたネットワークはどうしたら形づくられるのか。今度は、京都の取り組みをお伝えしましょう」

 (静かな町並み。施設に送迎バスが到着する)
 『京都府北部の町。この地域の聴覚障害者を支援している聴覚言語障害センターです。やってきたのは、利用者の太田千津子さん61歳。独り暮らしの盲ろう者です。9年前に父を亡くし、独り暮らしになったのを機に、ここに通うようになりました』
 (施設の部屋の中。大きなテーブルの周りに何人かの人がいます。太田さんは若い女性と、触手話で会話しています)
 『太田さんは、週に1回開かれる喫茶店で、地域住民と触れ合うのを楽しみにしています』
 (次は別の女性が、太田さんの手に文字を書いています。読み取った太田さんが、手話で)
 太田「木村うたこ」
 スタッフ「そうそう、合ってます」
 『センターでは9年前から太田さん個人の防災計画作りに取り組んでいます。この地域は台風の被害が多く、避難が必要になることもあります。太田さんのような、自分では情報を得にくい障害者をどう守るか。それがセンターの役割だと考えているのです』
 (台風による被害を受けたときの町の様子)
 スタッフの男性、黒田卓也さん「災害が起きたときに、お独りで避難したり、対策をするのが難しい状況があります。こういった交流も含めまして、太田さんを支えていこうということで、取り組みを進めています」

 (太田さんの家。玄関を入っていく黒田さん)
 『太田さんの安全を守るためには、どんな取り組みが必要か。聴覚言語障害センターでは、町の関係者とネットワークを作り、月に1回太田さんの家で会議を開いています』
 (太田さんの家の部屋の中。黒田さんのほかに、二人の男性と一人の女性が来ています)
 『メンバーは、地元の町役場や社会福祉協議会、障害者生活支援センターの職員などです。9年前、ネットワークの発案で、太田さんの家には、緊急通報装置が設置されました。この日は年に1度の装置のテスト。首から提げたペンダントのボタンを押し、無線で装置を作動させます』
 (首にかけたボタンを押す太田さん。部屋の隅に置かれた機械がなります。「太田千津子です、来てください」と繰り返し音声が聞こえます)
 (別の家の部屋。電話が鳴ります。主婦が受話器をとります)
 『電話回線を通じて、近所の小西さんのお宅に通報が流れ、太田さんが助けを求めていることが分かります』
 (太田さんの部屋。太田さんが突然腕にはめている機器を指差しています)
 『一方こちらは太田さんのお宅。太田さんが腕につけた腕時計が振動し、玄関に誰か来たことを知らせます。ご近所の小西さん到着。ペンダントを作動させてから、およそ30秒でした。太田さんは町からも、災害時要援護者に指定され、必要な際には町の職員が駆けつけます。しかし、距離は車で15分。通報システムは心強いみかたです。この日は、東日本大震災を受けて、電話回線がつながらない場合などはどうするか。知恵を出し合います』
 太田(手話で)「もし、地震が起きたら、早く逃げないといけないけど、できないと思う。電気も止まるかも知れない、家も壊れるかも知れない」
 寺田悟(センター職員の男性)「防犯ブザーなんかも有効だとは思うんですけど、太田さんの場合、ボタンを押しても発信できているか分からないので」
 佐藤龍平(社会福祉協議会)「何かで外に知らせるということが必要であれば、発炎筒から何かを得るか、色つきの黄色とかね、そういう部分で知らせると言うのも一つのパターンだと思うし」
 『災害の規模が大きくなればなるほど、装置やシステムでは不十分だという声が相次ぎました』
 佐藤「やはり今来てもらった小西さんとか、地域の人に助けてもらう部分が大きいと思うんですね」
 寺田「ちょっとおかしいなと思ったときに、気をとめていただけることがまず大事なのかなということですね」
 黒田「あらゆる期間と相談していく中で、思いがけない知恵ですとか工夫に気付けるというのはすごく必要なことだと思いますし、こういった積み重ねを重ねることで、地域の方に啓発的に知っていただくこともできますので、今後も続けていきたいと思います」

 (日が沈んで夜になります。太田さんの家に何人かの人が訪ねてきます。太田さんの家の部屋には、若い女性が7,8人集まっています)
 『地域の人たちの中にも、太田さんを見守ろうという動きが広まっています。この日、太田さんの家で開かれたのは、地元の手話サークル。およそ10年前から、毎月1回、太田さんの家で開いています』
 (代わる代わるに、太田さんと触手話で話をしています)
 女性(手話で)「今晩、太田さん食べる、何?」
 (太田さんが、手話でなにやら、今夜のご馳走についての説明をしています)
 女性たち「これ何? お豆腐と違う? 生協のお豆腐。ああ、ねぎだ、ねぎ刻んでる。おしょうゆかけて食べてるところだ」
 『こちらのメンバーは半年前にサークルに加わりました。太田さんとの会話を楽しみながら、触手話を勉強しています』
 太田垣美千代さん(手話サークル)「太田さんがここに住んでおられることを多くの方が知っていて、ここに茶の間があるとかね、何処に太田さんが休んでおられるかと、そういうことを当てにしながら、多分千津子さんを支援していかれているのが、地域の人がみんな知っているということが、とても大事になってくるんじゃないかなと思っています」

 (スタジオに戻る)
 町永「災害の時のみならず、暮しの中に何かあった時に、盲ろうの人をどう支えることができるのか、京都北部の地域の取り組みをご覧いただきました。もう一回その取り組みを振り返ってみますと、太田さんという盲ろうの独り暮らしの方がいました。もし、何かあったら、大変印象的なのは緊急通報システムですね。なかなか発信するのが難しいわけですから、ボタン一つで、助けてくださいということが、ご近所に電話回線を通じて呼びかけられるシステムです。でも、このシステムをいかすのは、実はここにありますような、聴覚言語センターや、社会福祉協議会と行政が緊密な連携を取って、この太田さんにいろいろな相談をする、意見を聞く。そしてそれのみならず、ご近所に呼びかけて、太田さんを取り巻くようなネットワークがあることで、このシステムが機能しているというところかと思いますが」
 (パネルには、太田さん、聴覚言語センター、社会福祉協議会、行政、緊急支援システム、地域の人たち。この関連を漫画で分かりやすく描いて見せています)

 門川「そうですね。ハード面・ソフト面ともに充実しているなあと思います。これは理想ですね。太田さんも独り暮らしされているということもあって、彼女のお宅に近所の方々が集まって手話のお勉強会と称して、おしゃべりがあったり、情報交換があったり、太田さんの生きがいにもつながっている部分もあるでしょうし、すばらしいですね。緊急時の実ならず、日常生活の中でも、常に何かあったときに助けを求めやすくなるでしょうし、手話ができなくても手のひらに文字を書く方法を使ってもコミュニケーションを取っていらっしゃる方もいますし」
 町永「災害時に盲ろう者の支援、社会全体としてどう捉えていったらいいのか。まず、どんなことが必要でしょうか?」
 門川「盲ろう者は普段避難訓練を受けて以内人が多いと思うので、災害時に備えて非難訓練を受けておけば、いざというときに役立つだろうと思います。あと、そうですね、盲ろう者という存在そのものがあまり知られていないですね。ですから、その地域に何処に誰が居るのか、何処に盲ろう者が住んでいるのかということを、あらかじめ、行政、警察、消防署などが把握しておいていただくということが大事になってくるかなあと。何かあった時には、行政、警察、消防署と、また近所でも助け合いができたらいいと思っています」
 町永「あと、必要な提言というと、どういうことになるでしょうか?」
 門川「今、盲ろう者に対して、行政が実施しているサービスは都道府県レベルで行われていて、広域事業ですね。通訳・介助派遣事業がありますが、盲ろう者というのが、そもそも潜在人工が他の障害者に比べると少ないもので、広域事業となっているんですけれども、もし、可能であれば、市区町村単位、小さい行政単位でも実施していただくとなれば、もっと便利に通訳・介助派遣を利用することができるようになるのではないかなと思いました」
 町永「今日はどうもありがとうございました」

 《福祉ネットワーク。終。制作、著作、NHK》

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